樹洞の中で、レハトが一人膝を抱え俯いていた。
この樹洞はレハトが城に連れて来られて間もない頃、
城の空気に耐えられず、中庭へ逃げ込んだ時に見つけた。
それ以来、一人になりたい時は、この樹洞に潜るようになったのだ。
時々、人の気配がすることから、レハト以外にも使っている人間がいるようだけれど、お互いにかち合うのは避けているようで、一度も顔を合わせたことはない。入り口こそ狭いが、洞の中は大人一人ならなんとか座ることが出来るほどの広さで、レハトは分化後もこの樹洞にはお世話になりそうだ。
樹洞の中に、うっすらと日の光が入り込む。その光がレハトを心底安心させる。
レハトは眠気を催し、うとうとしていると、不意に光が消えた。
ハッとして見上げると、足音もなく入り口に人が立っていた。
「そこの坊ちゃん。俺と一緒に、お茶でもしない?」
「・・・わあ、トッズ。」
トッズの手には、彼には到底似合わない、かわいらしい籠が提げてあった。
「その籠、どうしたの?・・・ふふっ、似合わないよ。」
「あ、そういうこと言っちゃう?結構気に入ってるんだけどなあ。」
トッズの言葉に、レハトが胡散臭そうにトッズを見る。
「な、なーんてね!・・・悪かったから、そんな目で見ないでよ。
サニャちゃんに持たされたの。
落ち込んでるレハト様のために、たくさんお菓子焼いたです!ってさ。
レハトも幸せもんだね、あんな可愛い子に心配してもらえて。あーうらやましいったら。 でもま、レハトが元気出してくれるなら、俺も菓子の一つや二つ・・・レハトに譲っちゃう!」
トッズがためらう素振りをして、その籠をレハトに差し出して見せる。
籠の正体を説明しておきながら、その籠がすでにトッズの物であるかのようだ。
「それ、サニャが私にって焼いてくれたお菓子だよ?」
「あ、バレちゃったか。 って、もしかして、一人で食べる気?
運んだ駄賃に、少しくらい分けてくれたっていいんじゃない?」
そう言って、トッズがレハトに手を差し伸べて、洞から出るように促す。
しかし、レハトはその手を取らず、首を横に振って再び俯いた。
それを見たトッズは態とらしくため息をつくと、
レハトの手を取り、強引に引っ張り出す。
そして、何故か今度はトッズが樹洞に入り、窮屈ながらもなんとか脚を組んで座ると、レハトに向けて、ここに座れ、と脚の上をトントンと叩いた。
トッズの意図に気付いたレハトが、
それまで固くしていた表情を初めてほころばせる。
言われるがままにレハトも樹洞の中に入ると、トッズの脚の上に乗るようにして座った。レハトは恥ずかしさからか、しばらく居心地悪そうに動いていたが、後ろからトッズに抱き寄せられて、そのまま体を任せるようにしてやっと落ち着く。
トッズが、サニャちゃんのお菓子に、俺からもあったかいお紅茶をご用意しましたよーと、レハトの小さな背中越しに、足元に置いた籠の中身を広げようとするも、レハトは全く興味を示さず、ボーっと何処かを眺めている。
いつものレハトなら目を輝かせて食いついてくるのに、
よほど堪えているようだ。その様子を見て、トッズは籠を広げる手を止めた。
と、不意にレハトがトッズの片手を掴み、
もの珍しそうにじっと見つめたり握ったりする。
「なになに?レハトってば、そんな見入っちゃうほど俺の手が好きなの?
やー困っちゃうなあ。そんな綺麗な手じゃ、ないんだけどな。」
「うんー・・・。」
「あ、そこ頷いちゃうんだ。」
トッズの言葉に、レハトが上の空で答える。
トッズはレハトの上に顎を置いて、小さな手とその手に握られる自らの手を眺めていたが、しばらくすると、ここぞとばかりに頬擦りをしたり急に手を握り返したりする。・・・やりたい放題だ。洞の中にトッズのご機嫌な鼻歌が響く。
「・・・ねね、トッズ。」
レハトが上を見上げて声をかけると、トッズがその額に唇を落とす。
レハトの頬がかあっと赤くなり、すぐにきちんと座り直し、正面を向いた。
「んんー?俺様、今とっても機嫌がいいから、
レハトの言うこと何でも聞いちゃう!
俺の可愛い可愛い女神様は、何がお望み?ささ、言ってごらん。」
レハトが少し考えた後、トッズに向き直ると、レハトは口に手を当て耳打ちの仕草をした。トッズが頷き横を向くと、レハトがトッズの耳に手を添えて、こそこそと耳打ちを始める。
最初、トッズはニヤニヤと満足げに笑みを浮かべ、頷き聞いていたが、
少しずつ笑みが消えていき、恐ろしく深刻な顔つきになる。
耳打ちが終わると、レハトが不安そうにトッズの顔色を窺う。
が、レハトが先程の表情を見る前に、トッズはいつもの顔つきに戻っていた。
「レハトってば今日はえらい弱気ね。
お偉い王様に何か言われたの?それとも虚勢張ってる王子様?
はたまた今朝広間でお相手した貴族様方?」
「・・・トッズのばか。」
全部分かってるくせに、とレハトは小さくため息をつき、再び俯く。
洞の入り口へ向き直そうとするレハトを、トッズが制して抱き寄せて告げる。
「・・・レハト。お前は、何も心配しなくていい。安心して進みゃいい。
俺がいる限り、お前の行く先を、誰にも邪魔なんてさせやしないんだから。
それでも、もし、もしもレハトが望むなら・・・」
レハトを抱き寄せる腕に力が入り、瞳に意を決したような光が映る。
と、すぐにその力を緩め、顔が見える程度にレハトを離した。
「な?だから、レハトはそんな顔しなくていーの。笑った笑った!」
トッズがレハトの両頬を摘み、無理矢理に笑顔を作る。
「・・・とっつ、いたひ。」
「あ、ごめんな。でも、ほんと信じられないよなあ。
こんなかわいい子が、俺の腕の中にいて、俺を頼ってくれてるなんて!
もしや、本当に夢だったり!?
うん、無粋で性悪な爺が珍しく空気読んでるしな・・・。
ちょっとレハト、俺の頬っぺたも摘んでみて?やさしくな?やさーしく。」
トッズがレハトに向けて頬を突き出す。
するとレハトは、トッズの視界を遮るように片手を添えると、
そのまま頬に唇をつけた。
レハトの予想外の行動に、トッズが面を食らい、動かなくなった。
その反応にレハトも動揺してしまい、行動に遅れて耳まで真っ赤になる。
「ト、トッズ?・・・だいじょうぶ?」
「・・・あ、あーー、もう!トッズさんってば、なんて幸せもの!
欲張っちゃってもいいかなあ。いいよなあ!ね、反対側!反対側もやって?」
そう言って、トッズが逆の頬を突きだした。
と、その時。
「うひゃっ!」
トッズの情けない声と同時に、ガスッと何かが突き刺さる音がする。
トッズの視線の先を見やると、
ちょうどトッズの頭の高さにナイフの刃が突き出ていた。
まさか、城内に侵入者が?
慌ててレハトがトッズを頼ろうとした時、不意に体が浮き、そしてそのまま地面に落ちた。トッズが、いなくなっている。
・・・侵入者を始末しに行ったのだろうか。
レハトが警戒しつつ、洞の中から少しだけ顔を出し、外の様子を窺う。
すると、そこにはレハトに背を向け、土下座しているトッズがいた。
「な、何してるの?」
トッズが土下座を向ける先に、誰かいるようには見えない。
「あー!いいとこだったのに、こんちくしょう!
やっぱ欲張っちゃだめだったか、くそっ!
なんだよこの爺の殺気、今頭上げたら問答無用で殺されるだろ、俺。
こんなことなら我慢せずに・・・うおっ!」
しきりに嘆くように呟いていたトッズに、何かがのし仕掛かる。
小さな腕がトッズの首に巻き付き、
おんぶのように覆い被さったのは、レハトだ。
「あわわっ、おちるおちるっ!」
レハトがトッズの背中の上で一人勝手にバランスを崩す。
その声を合図に、トッズに向けられた殺気が消えると、トッズが起き上がった。
「はーっ、死ぬかと、いや殺されるかと思った。ありがとな、レハト。」
「う、うん。・・・今の、ローニカだったの?」
「そう!部下に対して嫉妬と殺意剥き出しでナイフ投げてくるの!
レハトから何か言ってやってよ。
きっとレハトが止めるよう爺に言ってくれれば・・・っ!!」
トッズが話している最中に、小さな悲鳴と共にその場から飛び退いた。
「・・・? ト、トッズ?」
「あ、あはは、何でもないっ!・・・何でもないですよーだ。けっ。」
額に掻いた脂汗を拭いながら、項垂れる様に座り込み、
またもやぶつぶつと悪態をつく。
そんなトッズを尻目に、レハトが樹洞にもぐり、お菓子の入った籠を拾い上げると、その籠をトッズの所まで持っていき、籠の中からお菓子の包みを取り出した。
「トッズ、トッズ!サニャのお菓子、一緒に食べよう?」
レハトのその言葉にトッズが顔をあげ、
待ってましたと言わんばかりの表情を作る。
「おっ!いいの?じゃ、お言葉に甘えまして。食べる食べる。
お礼に、トッズさんとっておきのお話を聞かせちゃおうかなー。」
トッズがレハトから籠を受け取ると、
籠の中身を広げ、少し冷めてしまった紅茶を注ぐ。
日が傾き落ち始めるまで、二人はその一時を楽しんだ。
月日は流れ、アネキウス暦7404年、白の月。
レハトは自ら死を選び、史書より消え失せる。
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人里離れた、山の奥地にて。
「わあ、中庭にあった樹洞と同じ、安心する。」
「俺は、まったく安心できないかなあ。
ナイフがあっさり貫通するの、身を以って味わったし。
もう樹洞に身を潜めるのは、今後一切遠慮したいかなっ!」
「うーん、私は楽しかったよ?」
「ええ、レハトってば、人が死ぬ思いしてるのを見て楽しんでたなんて。
すごいショック。お兄さん泣いちゃう。」
「じょ、冗談だよ! ・・・・懐かしいね。」
「・・・ああ、うん、懐かしいな。」
樹齢1000年は優に超えているだろう、大きな樹の根元には、
仲睦まじく寄り添う、二つの人影があった。
- END -