最近、レハトの様子がおかしい。
仕事はきちんとこなしてくれているが、ほとんど自室から出てこないのだ。
大広間で見かけないところを見るに、食事も自室で済ましているのだろう。
レハトは成人してから、正確には入る前に体を弱くし、時たま部屋に篭るようになった。だが今回はいつもより長引いているようだ。
篭ってから既に十日は経ったように思う。
それに、いつもならお見舞いのときは気兼ねなく寝室へと通してくれていたのに、五日ほど前にレハトの元へ訪れると、侍従達に「レハト様はお元気です」の一言で追い返されたのだ。
・・・確かに言われてみれば、仕事で見かけたときは元気そうだった。
夫であるタナッセを問い詰めればすぐに原因が分かりそうだが、
彼は今ディットンへ出ており、後三週ほど城へは戻らない予定だ。
そもそもタナッセとレハトの夫妻の部屋があるのに、
タナッセが城を出てからというもの、
何故かレハトは未分化の時の部屋を使っている。
そんな事を考えながら衛士達を引き連れ廊下を歩いていると、
中庭の椅子にレハトが座って読書にふけっているのが見えた。
「おーい!レハト!」
侍従の咳払いを気にせず大きな声で呼びかけるとレハトが顔をあげ、
手を振ってからこちらへ向かって歩いてくる。
「こんにちは、ヴァイル。」
「やあレハト、中庭にいるなんて珍しいね。
最近部屋に篭ってなにしてるの?」
「!え、えっと。あんまり外に出る気分じゃなくって。
心配かけた?ありがとう、ヴァイル。」
それじゃ、とレハトはそそくさと自室のある塔の方へ行ってしまった。
間違いない、レハトは何か隠している。
王である自分に隠さなければならないこと。
・・・考えれば考えるほど悪い方へと思考がいく。嫌な予感がしてきた。
そしてその夜、ヴァイルはレハトの部屋を訪れることにした。
来訪を拒むレハトの侍従を無視し、
ヴァイルは扉を叩くことなく、レハトがいるであろう寝室の扉を開いた。
そして、目の前に広がった光景にヴァイルは呆然とした。
レハトの寝室であるはずの部屋は、作業場のごとく派手に散らかされ、
壁には絵の具のようなものが飛び散っており、
当の部屋の主は露台で外の景色を眺めていた。
「レ、レハト?何があったの?この散らかり様・・・どういうこと?」
ヴァイルが声をかけると、レハトは驚いたようにバッと振り返り、
やってしまった・・・とでも言いたげな表情を浮かべたが、
すぐにその表情を隠した。
「あっ、え、ええと・・・ちょっと芸術に目覚めて。
ほっ、ほらっ!タナッセは詩が書けるでしょう?
私も何か始めようと思って。」
そう答えるレハトの脇には描きかけの絵が立て掛けてあった。
レハトはつい先ほどまで絵描きに取り組んでいたらしい。
筆を持つ腕だけでなく、服や顔にも絵の具が散っている。
だが一瞬見せた表情や慌てっぷりに、
趣味で絵を描いているわけではない事は分かった。
「ふーん。まっ、いいけど。」
ヴァイルはレハトへと近づき、先ほどまで描いていたであろう絵を見る。
それは露台から見えるままを描いた風景画だった。
「へぇ、上手いじゃん。誰かに教えてもらってるの?」
「ううん、その・・・内緒にしてもらってたから。
だから絵のことは、侍従とヴァイルと・・・タナッセしか知らない。」
「ははーん。なるほど。俺をのけ者にしてタナッセと隠し事してるんだ?」
「ちっ、違うよヴァイル!
・・・うータナッセが帰ってきたら全部教えるから、許して!このとおり!」
そう言ってレハトはヴァイルの手を握ろうとする。
レハトの意図に気付いたヴァイルが後ろへ飛び退く。
「ちょっと!絵の具が付くじゃん。やめてよ!」
レハトは何故避けられたのか分からず、自らの両手を広げ見つめる。
その両手が絵の具でベタベタに汚れていることに気付き、
一人納得して顔をあげたレハトは、・・・盛大にニヤついていた。悪巧みの顔だ。
その表情を見たヴァイルは一目散に扉へと向かい、
レハトから逃げるように部屋から出て行く。
「レハト!今度、絶対教えてよね!」
こうしてレハトはヴァイルの追求から逃れられたのだった。
それから三週後。
タナッセはディットンから帰ってきて早々、
ヴァイルに呼び出され、レハトの絵描きについて追求される。
「ヴァイル、その話の前に・・・聞いてほしい。」
そう言ってタナッセは、一歩下がっていたレハトを横に並べ、続けた。
「・・・レハトを連れ、旅に出ようと思う。」
「ええ?」
「レハトは雪どころか海すら見たことがないと言うのでな。
いつか見せてやりたいと思っていたんだ。
あれから周りも落ち着いたことだ、仕事の引継ぎが出来次第」
「・・・あーそう、俺を置いて城を出るってこと。」
タナッセの話が終わる前に、ヴァイルが呟いた。
俯いているためその表情は見えないが、声が震えていた。
「っ!そうではない!ヴァイル、おまえも共に旅しよう。」
「は?そんなこと出来るわけない!俺は王だ。旅人にはなれない!」
ヴァイルは拳を強く握り締め、俯いたままそう言い放った。
立ち去ろうとするヴァイルの腕をレハトが掴む。
振り払おうとするヴァイルの手を取り、無理矢理に、約束の形を作った。
「ヴァイル!そのために私は絵を練習してたんだよ。聞いて?」
それは、タナッセがディットンへ向かう2日前のこと。
その日は天気が良く心地よい風も吹いていて、絶好の読書日和だった。
タナッセは中庭にある椅子へと向かったが、そこにはすでに先客がいた。
三人は座れるであろうその椅子に転がって、読書をしていたのはレハトだ。
仕方なく椅子の脇に腰掛け、レハトと他愛もない会話をしつつ本を読む。
「ディットンかぁ。大きな神殿があるんだよね?見てみたいな。」
「・・・何だと?さすがに一度は訪れた事があるだろう?」
「ないよ。私この城に連れて来られてから、
城を出たのはヴァイルの視察に付いていったくらいだもん。」
それもリリアノの許可なしで、と言いレハトは口を尖らせ拗ねている。
「それは・・・、そうか。・・・そうだったのか。」
そうだよ、と拗ねるレハト。タナッセがなだめるようにレハトの頭を撫でる。
するとレハトは満足げにはにかみ、頬を染める。
しばらくそうした後、タナッセが手を止めレハトの正面に移動し膝をついた。
「どうしたの?」
「その・・・だな。おまえさえ良ければ、だが、共に旅へ出てみないか?
雪も見てみたいと言っていただろう。」
その言葉にレハトは顔を上げ、瞳の奥を輝かせる。
けれどその表情はすぐに暗くなり俯き、再び顔をあげる。
「ヴァイルを置いてはいけないよ。約束したもの。」
その表情は、後悔もなければ不安もない。不幸とも思っていない。
見ていて痛々しいほど決意に満ちた表情だった。
「・・・ああ、ならばヴァイルも共に行けばいい。・・・モル!」
タナッセは近くで待機していた衛士を呼び、紙で出来た包みを受け取る。
レハトの隣に腰掛け、その包みを開く。
そこには真新しい画用紙と絵の具が入っていた。
「あれ、タナッセって絵も描くの?」
「描けなくはないぞ。
今朝方城下の市で私用に買ったものだが、おまえにやろう。
旅先の絵を描き鳥文でヴァイルに送ればいい。それで共に旅が出来る。」
「えっ、私が描くの?無理だよ描けないよ、そんなに絵上手くないし。」
「? この間描いていただろう。
その・・・わ、私を。あ、あれはなかなか良い出来だったと思うが?」
そういえば描いていた。
ちょうどここに座って本を読んでいるタナッセを、その正面に座り込んで。
真っ赤になって本で顔を隠そうとしたり顔を背けたりして可愛かった。
「ああ、タナッセなら描けるよ。いつも見てるから。」
「なっ・・・!」
レハトの言葉に、動揺したタナッセが急に立ち上がり、
タナッセの足の上に置いていた包みが地面に投げ出される。
その衝撃で絵の具の留めが外れてしまい、全て散らばった。
「わわわっ!・・・そんなに動揺しなくたって」
「う、うるさいっ!貴様が下らんことを言うからだ!
まったくっ!貴様はいつもいつも・・・」
耳まで真っ赤にしてくどくどと説教をするタナッセ。
二人で散らばった絵の具を拾い集める。
絵の具をすべて拾い上げると、タナッセは絵の具と用紙を包み直し、レハトに渡した。レハトは納得いかないが、押し付けられしぶしぶその包みを受け取る。するとタナッセは動揺で話の本筋を忘れてしまったのか、本を取りだし読書を再開した。
釣られてレハトも本を開き、ハッとして首を横に振り本を閉じると、
どうしたら良いのかを考える。
この話をすれば、ヴァイルはのけ者だの裏切られただの考えるかもしれない。
自分が絵を描くだけで納得して送り出してくれるだろうか。
・・・私の絵だけでは、共に旅をしている気分を味わうことはできないだろう。
レハトが一人悩んでいると、ふいにタナッセは手帳を取りだした。
何かに触発されたのであろう。小さな手帳に筆を走らせ詩を綴る。
覗きこむようにしてタナッセの筆先を見つめていたレハトは、
急に声を上げ立ち上がった。
「あ!そうだ!その手があった!」
と、レハトはタナッセの手を握る。
レハトの不意打ちにタナッセの筆先はあらぬ方向へ走り、慌てて手帳から離した。
「おっ、おいっ!急になんだっ!危ないだろうが!」
「タナッセは詩を書いてよ!」
唐突にそう言われてタナッセは目を丸くする。
彼の中ではすでに先ほどの話は終わっており、会話が成立しなかった。
「あ、ああ。詩ならちょうど今・・・」
と手帳を見せようとするタナッセに、違うと首を振るレハト。
「そうじゃなくて、さっきの旅の話だよ。
私の絵だけじゃ自信がないから、タナッセも詩を書くの。」
「ん、ああ、さっきの続きか。
絵に詩を添えるか・・・。ふむ、なかなかよい提案だ。
おまえが絵を描き、私が詩を綴り、ヴァイルがそれを見て旅をする。
ああ・・・良いな。」
タナッセは深く頷いて続けた。
「・・・おまえがヴァイルの気持ちが分かるように、
きっとヴァイルもおまえの気持ちを分かってくれるだろう。」
その言葉にレハトはやる気と希望に満ちた表情で返す。
「うんっ!・・・ありがとうタナッセ、あいしてる!
よし。そうと決まれば絵描きの練習をしなきゃ!
習うより慣れろ、だよね!えーっと筆・・・筆・・・その筆借りていい?」
先ほど片付けたばかりの包みを再び開き散らかしながら、
レハトは強引にタナッセが持っていた筆を奪う。
「なっ・・・こらっ!それは文字を書くもの・・・っ!!
おい止めろ!折れるだろうがっ!絵筆は部屋に予備が・・・っ!
まずは部屋に戻れ!部屋からの景色を描けばいいだろう!」
タナッセの必死の説得により、羽筆は折られずに済んだものの、
夫妻の部屋は新米絵描きによって荒らされ、
レハトは未分化時の部屋に隔離されたのだった。
「・・・という訳なんだけど・・・。ヴァイル、どう、かな。」
ヴァイルに事情を説明したレハトは、
その手で約束の形を作ったまま、ヴァイルの返事を待った。
「・・・駄目だ。そんなの許さない。」
ヴァイルはレハトの手を強く握り、痛みでレハトが顔が歪み瞳が潤む。
駄目だった、そう思ったとき、ヴァイルが手を緩めにんまりする。
「なーんてね!・・・いいよ、行ってきて。レハトの絵、楽しみにしてるから。」
「ヴァイル!・・・ありがとう!」
レハトは泣きながらヴァイルに抱き付き礼をいう。
「そのかわり、ちゃんと戻ってきてよね。
居なくなったりしたら、・・・絶対に許さないから。タナッセも。」
そう言ってヴァイルはタナッセに向け、もう片方の手を伸ばす。
タナッセもそれに答え、約束の形を作る。
「ああ、約束しよう。必ず共に城へ戻る。・・・おまえを一人にはしないさ。」
それから数月後、引継ぎを終えたタナッセとレハトは、幾人かの護衛を連れ旅に出て、さらに数月後、多少の障害はあったものの、無事に城へと戻ってきた。
レハトがお土産だと差し出した物は、瓶の中に入ったただの水だった。
彼いわく、「雪だったもの」らしい。
ヴァイルの部屋には、二人の描いた作品が丁寧に額に入れ飾られていた。
---end---